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【アーユルヴェーダの歴史】
約5000年前からアーユルヴェーダは伝わると言われていますが
ヴェーダには4種類あり
リグ・ヴェーダ
サーマ・ヴェーダ
ヤジュル・ヴェーダ
アタルヴァ・ヴェーダ
リグ・ヴェーダ
リグヴェーダはヴェーダの中で最も古く、
紀元前1200~1100年ごろに作られたと言われています。
リグとは賛歌を意味して神々を崇めるものです。
文字として書かれることは嫌われ、師から弟子、
親から子供へと暗唱で伝わったと言われています。
サーマ・ヴェーダ
サーマ=歌や旋律の意。
歌を一定の旋律に従って歌うためのヴェーダ。
内容はリグ・ヴェーダとほぼ同じです。
ヤジュル・ヴェーダ
祭祀に関するスタートからフィナーレの準備や作法について。
いつどんなときに、どんなマントラを唱えればいいのか
という実務的な歌詞を集めたもの。
アタルヴァ・ヴェーダ
他のヴェーダが神々への賛歌に対して、
健康の祈願、悪魔払いなどを扱います。
このアタルヴェヴェーダのことを
アーユルヴェーダと言います。
【アーユルヴェーダの神話】
リシ=インド神話に登場する賢者たち数人が
さまざまな病気が出てきたときにがヒマラヤに集って討論しました。
それを、不死身の神々の神」と言われているインドラ神(日本では「帝釈天」とされる。)
に教えてもらいます。(※古代インドの書物は年代を特定する事がほとんど出来ないがその中の人物は実在性があるとされています。
医学はブラフマー神から始まり→プラジャーパティ神→アシュヴィン神→インドラ神と
神々の手を渡った後、二手に分れて人に伝えられます。)
こちらはインドラ神から伝えられた一人ですが
パラドヴァージャというリシがインドラ神から教えてもらうことになります。
インドラ神から教えを受け、バラドヴァージャは膨大なアーユルヴェーダの知恵を習得します。
ヴァラドヴァーシャはその習得したアーユルヴェーダを他のリシ達に伝えます。
リシの一人である、アートレーヤは、
さらに6人の弟子へアーユルヴェーダを伝授しました。
このようにインドラ神から伝授されたアーユルヴェーダは、
弟子から弟子へ、どんどん伝えられていき、現在の医学として確立されました。
アーユルヴェーダは最初神様から伝えられたものという非常に不思議で、神秘的な医学です。
アーユルヴェーダはブラフマンからほかの神様に伝えられ、紆余曲折をへてインドラ神に伝えられました。ダンヴァンタリ神もヴァラドヴァーシャもインドラ神からアーユルヴェーダを伝えられたと言われています。
神話なので、この話が正しいかどうかは別として、
ダンヴァンタリ神はいまでもアーユルヴェーダの神様として
アーユルヴェーダの医師やプラクティショナーに崇められています。
【まとめ】
一方
インドラ神→仙人バラドヴァーシャ→アートレーヤAtreya(B.C.6c頃、タキシラ学派)
→六人の弟子の一人/アグニヴェーシャに至る。
アートレーヤの六人の弟子たちには今は一部失われているがそれぞれサンヒターが存在した。
もう一方
インドラ神→ダンヴァンタリ王→七人の弟子の一人/スシュルタSusuruta(B.C.6c~A.D.4c)と来る。
仏教
2500年前 仏教が始まります。実は 仏教とヴェーダ、アーユルヴェーダは 密接に関係しています。
お釈迦様は、ヴェーダの教えであるバラモン教が説いていた 「平等ではない」世界に生まれました。
そこから革命的に起こったのが仏教と言われています。仏教はアーユルヴェーダの中から生まれたと言っても良いでしょう。 古代インドのアショカ王は、「平等」を説く仏教を擁護することに努めましたが、釈迦が亡くなったあとは、仏教はインドから離れてゆきます。
仏教の普及とともに、その根底にあるアーユルヴェーダもまた釈迦の弟子たちによって、 東、西へ、世界中へと伝えられていきました。
イスラム教
1000年前 イスラム教がインドを侵略してきます。イスラーム教のインドへの波及は8世紀に始まるが、本格化するのは11世紀、ガズナ朝時代。12世紀のゴール朝、13世紀にデリーを都としたデリー=スルタン朝と続き、ヒンドゥー教徒と抗争しながら16世紀にムガル帝国がほぼインド全土を征服してしまう。
この時ほぼアーユルヴェーダを滅ぼしてしまいます。
インドではイスラーム勢力の拡大以降、支配者層や都市部でユナニ医学が主流となり、その隆盛はトルコ系イスラーム王朝のムガル帝国(1526 – 1858年)時代に最高潮に達した。一方アーユルヴェーダは衰退し、周辺部や貧しい人々の間に受け継がれた。https://ja.wikipedia.org/
イギリスの植民地化
これにより西洋医学がどんどんインドに入ってきてしまう。
インドを植民地化したイギリスは、
1833年にアーユルベーダの学校を閉鎖。
しかしながら幸いなことに古代医学アーユルヴェーダの伝統は
根絶やしになるまでには至りませんでした。
ガンディー
1947年 ガンディーによる独立によって、アーユルヴェーダが徐々に復活
20世紀初頭になると、イギリス帝国のインド支配に対抗するナショナリストや、
欧米のオリエンタリストたちによって、アーユルヴェーダは「インド伝統医学」として復興し、
西洋近代医学に対抗して教育制度が整備された。
アメリカでは、ニューエイジ運動(1970 – 80年代)で、アーユルヴェーダをはじめとする様々な伝統医学・ホリスティック医学が注目された。1998年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)に国立補完代替医療センター(NCCAM)ができたことをきっかけに広まり、世界各地で現代医学を補完・代替する医療として利用されている。https://ja.wikipedia.org/
1970年代には西洋でも瞑想の素晴らしさが伝わり、ヨガやアーユルヴェーダが本格的に
伝わってゆく。
今日も見ていただきありがとうございます。
これからもっともっとアーユルヴェーダは広まってゆくでしょう。
今のうちからしっかり勉強しておくと良いでしょう。