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瞑想とは オンライン瞑想講座

オンライン瞑想講座 

私はヨガをずっとやってきて、アーユルヴェーダをやってきて、
確信したことがあります。

それは瞑想こそが最も最高の方法であると言うことです。

このオンライン瞑想講座であなたはその最も重要な事そして瞑想とは
どのような状態かを学び実践することができるようになります。

瞑想講座 講義1
宿題がありますので実践ください。

 瞑想講義2 瞑想の莫大な効果たち

どうもサロン波 皆倉です。

瞑想についてです。
アーユルヴェーダにおいて瞑想は非常に重要です。

シロダーラの時もやはり瞑想のことをしっかり理解しておく必要があります。

瞑想法は、

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◆一つの対象を定めた上で、その対象に集中を高めていく手法と

◆対象を定めずに心に去来する現象を一心に観察する手法と

に分けることができる。

前者の手法における対象としては、

  • 「神」等の聖なる存在のイメージ
  • 特定の文字のイメージ
  • 紙上に書かれた円形の凝視
  • 呼吸に合わせて一心に数を数えること
  • マントラや念仏等の短い音節の繰り返し
  • 呼吸に対する腹部や鼻腔の感覚変化


等多種多様である。

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とあります。
ヨガの瞑想法でも何か1つのものをイメージしてそれに
1点集中することが
瞑想です。
まずは1点集中する対象。これを決めることがまずは
始まりです。

わかりやすい練習方法として

◆アーサナも一つの瞑想法です。ポーズに集中するわけです。


◆呼吸に集中する呼吸法(プラナヤーマ)も同じです。

◆トラタカと言ってろうそくをずっと見つめる
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◆マントラをひたすら唱え続ける


というようにこれらは全て瞑想法です。

しかしながら瞑想とは非常に難しいと言われ、
これら上記に記したものは


どちらかといえば瞑想のための練習方法です。

この瞑想のための練習方法をすることで
瞑想に近づいてゆくことができます。


ヨガの瞑想には段階があります。

 

⑴プラティヤハーラ(Pratyahara)/感覚の制御

感覚への意識を深め、繊細に感じること。
外側に向いている五感の知覚を、内側に方向づけ、内的感覚を高める。

⑵ダーラナ(Dharana)/集中・精神統一

 意識を特定の対象物に長時間留めておくこと。心が集中すればするほど、
一点に向かう大きなパワーが生まれます。

⑶ディアナ(Dhyana)/瞑想

  仏教の〈禅〉は、サンスクリット語で〈瞑想)を意味する、
このDhyanaが語源。意識が積極的な努力なしに一方向に深く 集中している状態。

プラティヤハーラ(感覚制御)とダーラナ(集中)が深まっている状態。
自分と他を分け隔てなくなった意識の状態。

⑷サマーディ(Samadhi)/三昧、超意識、悟り

瞑想がさらに深まり、集中の対象との一体感を感じている状態。
ヨガの最終目標。悟り。梵我一如。煩悩からの解放。解脱。
瞑想の状態をかなり長い時間維持できるようになったらサマーディの状態に入る。

 

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いずれの手法においても、現実世界に対する心の持ち様を
変化させていくことを目的としており、
集中力が養われるに伴い心の変化が起こるとされる。

 

瞑想の具体的効用として、集中力の向上、気分の改善等の日常的な事柄から、
瞑想以外では到達不可能な深い自己洞察や対象認知、
智慧の発現、
さらには悟り・解脱の完成まで広く知られる。

 

宗教や宗派、あるいは瞑想道場により、瞑想対象や技術が異なる。

 

仏教における瞑想法では、人間の心が多層的な構造を持っていることを
踏まえ意識の深層段階へと到達することを目的とした手法が
組み立てられる場合がある。

 

例えば、大乗仏教における仏教哲学・仏教心理学では意識は八識に分類され、
その中には末那識や阿頼耶識と呼ばれる層があり、
仏教の瞑想法はそこへ到達するための方法と言われている。

 

末那識、阿頼耶識は、近代になって
西洋心理学で深層心理と呼ばれるようになったものに近いと言われている。
一方、上座部仏教においては、
瞑想修行の進展に伴い心の変化を九段階に体系化
(一般的認識である欲界を超えた後に現れる第一禅定から第九禅定)しており、

 

第一禅定以上の集中力において仏陀によって説かれた
観瞑想の修行を行うことで解脱が可能と言われている。

 

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このように見てゆくとヨガの瞑想の段階にも
仏教の瞑想にも段階があることから非常に似ています。

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ヒンドゥー教における瞑想法は、
真我や神との合一体験を目的とした瞑想が主流である。

仏教やヒンドゥー教における瞑想法の究極の到達点は
一般的には輪廻転生からの解脱であるが、

実践者の悟りや解脱についての認識の違いが、
宗教・宗派を区別する根拠の一つとなった。

 

安藤治は、瞑想はセラピーと言われることもあるが、
臨床的な病の治療を目的とした精神療法ではなく、
自己超越を促進する方法のひとつであり、

高次の意識の出現、発達、成長を促進するための道であると述べている。

 

瞑想の効果を臨床に応用することは意味があり、
臨床において決して主となる治療手段ではないが、
精神療法の補助手段としての可能性は大きいという。

 


ここまで読んでもわかりづらい部分はあるかなと思います。

 

ただし、瞑想とは基本的に
最初からうまくできるものではありません。

インドのヨガのグルでさえも「私は未だ到達したことがない」と言っています。

 

よって通常、ネット上にある「瞑想」とは瞑想のための練習です。
瞑想とはそんなに簡単にたどり着けるものではありません。


ヨガは

その瞑想をわかりやすく
実践し近づいてゆくことを
言葉やイメージ、実践によって伝えてくれるのです。

 

ヨガスートラでは1点集中の大切さを何度も説いています。


1−28 意味を熟慮しつつ、それを反復誦唱するが良い

1−31 一つの対象に対して修練を行うことが障害とその付随物を防ぐ最良の方法である

1−35 あるいは微妙な感覚的知覚に対する集中が心の不動をもたらす

1−36 あるいは永遠の至福に満ちた、うちなる無常の光に集中することによって

1−38 あるいは夢や深い眠りの中で得られる体験に集中することによって

1−39 あるいはなんでも心を高揚させるようなものを選び、それに瞑想することによって

 

ヨガスートラの中にはたくさんの瞑想するための
ヒントが書かれています。

 

ヨガの最終的な目標は
スートラの最初に書かれています。

 

「心の作用を止滅することがヨーガである」

 

 

 

参考:ウィキペディア ヨガスートラ
アーユルヴェーダ講座 バナー.001

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